御柱と守矢

 

 地鎮祭を行った。神主さんの神社でも御柱の行事をするという。自宅の庭にも柱を立てるらしい。

 諏訪大社、上社本宮、上社前宮 下社春宮、下社秋宮諏訪地方の 四社で行われる御柱祭。 聖域を囲う4本の柱を7年ごとに建て替える

同じ年に、諏訪周辺の他の神社でも、小さな祠に至るまでそれぞれ4本の柱を立て替える。

 
地域20万人の氏子が参加するという。  

 

 

今年はその年に当たっている。

富士見町内の国道20号沿いセブンイレブンの駐車場にも御柱が置いてあった。大きい。綱は藤を綯ったもの。

樅の木(樹齢200年真っすぐなもの 4本祭りの1年前に伐る。 奥山の大木、里に下りて神となるよ)

八ヶ岳南麓の縄文中期遺跡群、敷地は藤内遺跡の川上側の小母沢遺跡の一部。山麓のこの高度に帯状の驚くべき広大な範囲に大規模な遺跡群が存在しており、発掘はごく一部にとどまっている。当時の縄文文化の中心地

 

 縄文人の祈り 日本各地に巨木への祈り文明。森が生活の基盤 1万5千年前から1万年前どんぐり、栃、狩猟

中原遺跡 4本の柱で囲んだ墓 土偶 神を呼び寄せる場所。

富山真脇遺跡 環状木柱列 山に向かう祭祀の場所。イルカの骨出土 イルカ漁 他の集落との協働。行事お祭りの場所

諏訪湖周辺 900近くの縄文遺跡。縄文の拠点

星が塔遺跡の黒曜石(天然ガラス)193の採掘跡 日本各地に流通

最後の縄文王国。

土器に残る穀物の年代測定からわかったこと

 

  水田稲作に稲作が入ってきたのは紀元前10世紀後半、北部九州から400年かけて西へ広がり、中部高地を迂回して青森へ広まりそこから東北地方を南に広がった。最後まで残ったのは諏訪周辺。諏訪の縄文人は最後まで水田を拒んだ。

紀元前3世紀に諏訪でも米作が始まる。

建御名方(タケミナカタ)と洩矢(争いと和解)

(伝 古事記) 出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)は高天原の天照大御神に国譲りを迫られる。何人かが遣わされて失敗した後、天照は建御雷神(タケミカヅチ)を遣わす。天鳥船(あめのとりふね)に乗って出雲にやってきた建御雷神は伊那佐の濱に降り、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り威嚇する。息子の1人事代主は国譲りを承諾するが、もう一人の息子、建御名方は力比べを挑んで負けた。諏訪まで逃れそこから出ないことを約させられる。


 建御名方は諏訪に農耕を広め君臨する。もとから諏訪を治めていたの洩矢は建御名方の侵入を阻もうとして敗れた。
 建御名方は洩矢を滅ぼそうとはせず、融和して土地の神事を司る役割を勤めさせた。 この洩矢の後裔が守矢である。

 

 

 

 

諏訪周辺の御柱祭の総元締めになっている守矢家の社が諏訪の南にあるとTVで見て、鈴木君と伊豆に帰る途中に探しに行った。それは諏訪大社の東側の山麓にあった。

守矢家は諏訪大社の神事を司る神長官という役職を1000年間以上前から明治初めまで勤めていた。当代78代当主は 守矢 早苗さんという女性らしい。井戸尻考古館の小松さんからもこの名前を聞いた。

守矢家の屋敷内に立つ小さな社は、御左口神 (ミシャグジ、巨木や石に降りてくる土地の精霊)を祀る。
 御左口神(ミシャグジ)を祀る社は、諏訪を中心に周辺に長野県に700も残されているがその総本社がこの社という。

社の裏には小さな古墳があった。 物部氏より迎えた○○の墓ではないかと

縄文

山からの空気が下りてくる場所。山の神や大地の精霊を身近に感じる暮らしが受け継がれている。

裏山に向かう道にも新しい御柱が準備されていた。見えている山は守屋山の東峰。守屋山の頂上にも祠があるらしい。ユダヤのモリヤとの関係を言う人もいる。東方の部族

 

このあたりは中央構造線とフォッサマグナ西辺(糸魚川静岡構造線)が交差している。(プレート境界、西南 日本 が東北日本の下に沈み込んでいる)

 

 敷地内に神長官守矢資料館が整備されている。一族の方に解説していただいた。

 過去の大祭は大掛かりな行事で、おびただしい数のシカや猪、山の幸の具物が用意された。

 数年前、物部氏の後裔という一団が来館されて交流があり、資料を見てもらったりされたという。

 

フォッサマグナ、中央構造線が出てきたので調べました。

 

日本列島の成り立ち          
(観音開き説、回転拡大説と言われているもの。 乙藤 洋一郎 神戸大)

 画像および内容は主にNHKの番組「列島誕生GEOJAPAN」より。

 (活発化しているプレート境界型地震の理解のためのmemo  

 

 

 

@段階 3000万年前に.ユーラシア大陸の縁が東西日本の2つに分かれて引きちぎられた。地溝は発達し、2500年前水が入り始め日本海が出現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

東北日本は知床半島沖付近を中心に半時計回りに40〜50度、 西南日本は対馬南西部を中心に時計回りに40〜50度回転した。(観音開きモデル説)

 


 


根拠となる事実、観測結果とその説明。

  1億年前の火成岩には 鉄磁力方位が記憶されている。それによりその後の方位の変化が分かる。

南鳥島 国土地理院GPSデータ(太平洋プレート全体を見る。) 太平洋プレートは現在も毎年8cmの速さで西北に移動している。

平洋プレートは沈み込んだ後、マントルの上昇流が時計回りに起こる。

 大陸のプレートに右向きの力が働き大陸縁部は次第に薄くなり引きちぎられた。
 (JAMSTEC吉田)

飛水峡(岐阜県)のチャートはハバロフスクなあるものと同じもの

 日本海中の大和推は引きちぎられた大陸の一部が海中に取り残されたもの。地質、岩石成分。海底の地形が大陸の海岸と一致する。

A段階 

 2500万年前ころ火山島の列(今の伊豆諸島に当たる)はずっと西の方、今の沖縄付近にあった。

太平洋プレートによる大陸の引きちぎりが起こるとフィリピン海プレートも東に引っ張られていき、フィリピン海プレート縁にあった火山島の列は現在の位置まで東に移動した。

その後フィリピン海プレートが北上し始めると一列に並んだ火山島は関東地方の位置に向かって北上して衝突し、陸地の高いところに押し上げられた。

 

 

 


 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

櫛形山地(身延、山梨)、御坂山地(甲府側富士山山麓)、丹沢山地ができ、浸食されて2つの日本列島の島の間の海峡を埋めて繫げた。(フォッサマグナ部分)

 海溝の深いところを北に押し上げることにより伊豆半島の両側の陸にすぐ近いところに深海溝ができた。 

火山島にあった大島桜が日本列島が上陸し、もとからの桜と交配して白い大きい花の染井吉野が生まれた。

丹沢山中には石枕状溶岩(海底で噴きだした溶岩)やサンゴの化石がある。

女霜婦岩

  B段階. 西日本各地の巨大カルデラ噴火

 

日本列島が太平洋プレートの沈み込みにより大陸縁から引きちぎられたころ、フィリピン海プレートも同じように東に引っ張られプレートの真ん中に割れ目ができた。

 

 

 高温のマグマが噴き出ている割れ目。東に移動するこの割れ目上に、西日本のプレートが乗り上げることにより、西日本で巨大カルデラ噴火がいくつも発生し西日本を山国へ一変させた。

 

  紀伊半島には環状に花崗岩巨石が分布する。巨大カルデラ噴火の跡。
 
1400年前和歌山150m 古座川の一枚板。那智の滝、神倉山ゴトビキ岩。

 

 

 

 

高温マグマの上昇と巨大カルデラ噴火の発生。

このような巨大カルデラ噴火が起こると全世界の気温は10℃も低くなった。

花崗岩は比較的軽いため10km以上浮き上がり西日本に急峻な山地を作った。

同時期に西日本に多発、紀伊半島に他に2か所 四国石槌山 宮崎大崩山など。

鬼界カルデラは約7300年前に噴火を起こし九州南部の縄文文化を滅ぼした

C段階。東日本の大隆起

 400万年前東日本の多くは浅い海の底だった。

 房総沖深さ7000m、300万年前のあるとき 北向きに動いていたフィリピン海プレートが突然北西に方向転換し、太平洋プレートも影響されて大陸プレートに沈み込む位置が西に動いた。(東西圧縮の始まり) 

海底で隆起が起こり、日本海側も隆起してたくさんの島ができ急速に山になった。

 

最終段階。 50万年前、日本で最後に房総半島が海から顔を出し陸になった。


 

新潟 八海山山頂の丸石 300万年前に隆起が始まった。

フィリピン海プレートは、北向きに押していたが300万年前に太平洋プレートにぶつかり北向きに進めなくなり、北西方向に進み始めた。

東日本の山は隆起を始め、太平洋プレートが沈み込むラインは、300万年前から現在までに30km日本列島に近づき、山は2000m隆起した。(東西圧縮)

 

 

千葉房総半島 ボラの鼻

 

もしこの隆起が止まると山が急速に低くなり日本列島は乾燥した土地になるだろう。

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