フランク・ロイド・ライトとユーソニアンハウス

 フランク・ロイド・ライト(1869〜1959)の活動時期は70年以上と長く、他の何世代もの建築家と時代にまたがっています。その活動時期は大きく3つの時期に分けることができます。ユーソニアンハウスはその後期のものです。

 

プレイリーの時期 1887〜1909年)  

 シカゴで活躍した時期。ルイス・サリバンの門下を出てオークパークの自宅に自身の事務所を開いたライトは、プレイリー住宅と呼んだアメリカ中西部の長く低く水平に広がるプレーリー(アメリカ中西部の大草原)にふさわしい水平を強調した住宅を、次々とシカゴ近郊につくりだしました。全部を一体として設計する生命体のような単純性、箱を廃し自由で広々とした室内空間、機械によるアーツアンドクラフト、それぞれの性質を活かす材料の扱い方、などの”有機的建築”の考え方と工夫がこの時期に生まれました。

この時期の仕事がオランダで作品集(Wasmuth Portfolio1910,1911)として発行され、これを見たヨーロッパの建築家たちは大変大きな影響を受け近代建築運動(デスティル、バウハウスなど)が始まりました

Wilitts House   1901

 

 中期 1911〜1932) 

 ウィスコンシン州スプリンググリーンに近い父祖の谷に移ったライトは、以後自身の活動拠点となったタリアセンを建設します。この時期の作品に、帝国ホテルやカリフォルニアの数軒のコンクリートブロック住宅があります。5年間(1916〜1922)日本に滞在したこの時期のライトの建築は、帝国ホテルの建設に携わった日本の弟子たちを通じて大正時代から昭和初期のモダン建築をリードし、現在に至るまで大きな影響を残しています。
 1923〜1924年以後は実現した仕事がほとんどありません。不毛の時期が続き、40才からのこの20年間は仕事が少なく、この時期に蓄えたアイデアは60才以降の次の時期に次々と実現されることになります。

    

 

タリアセン ウィスコンシン州スプリンググリーン 1911  
                             建物は丘の上に置かれているのではなく、木や岩のように丘の一部になっている。

  

                           
                           

帝国ホテル 東京 1915
 現在玄関部分だけが愛知県犬山市明治村に移築再建されている。
 

 

 

自由学園明日館 東京 目白 1922

 羽仁 吉一、もと子夫妻に自由学園の設計を依頼されたライトは、自由学園の実践主義の教育が、自身の二人の叔母ネルとジェーンの主催するヒルサイドホームスクールに相通じるものがあることに共感してこの仕事を引き受けました。
 


ユソニアンの時期。(1932〜1959)

 フランスの教育家グルジエフのもとで学んだ妻オルギヴァンナの協力を得て、1932年自給自足をしながら建築の教育と実践を行う建築塾(タリアセンフェロシップ)を始めます。最初に32人の弟子(Apprentice)が集まりました。
ブロードエーカーシティーの模型。1934

  タリアセンフェロシップによって行われた最初の重要な仕事はブロードエーカーシティーの模型の製作です。 この大きな模型は現在ウィスコンシン州のタリアセンのヒルサイドスタジオの東側のDana galleryの壁面に垂直に置かれています。 
 都市の集中をさけその機能を分散し、大地に密着した生活をするというライトの民主主義に対する考え方が表されています。この模型は米国各都市を巡回してまわり、アメリカの都市計画に大きく影響がありました。
 ブロードエーカーシティーの模型はライトの後期の仕事に重要な意味を持つもので、この模型の中に、後に全米各地に実現していった多くの建物の原型が点在しているのを見ることができます。

  
 
 
Broadacre city の模型のデータ

模型の大きさ 3.66m x 3.86m
12フィートx12フィート8インチ (8インチはABCD、4つに分割して作られた模型のうち左端のC,D端にあるフリーウェイ分)  
縮尺 1/900 2マイルx2マイル 
面積 4平方マイル 40x64エーカー=10.36km2
1戸: 1エーカー=165'x264'=43,560sf
           =4047m2=1235坪
人口761戸x3人=2283人
人口密度220人/km2 

同ビデオクリップ(準備中)

    

 ライトはブロードエーカーシティーに関する本を3回にわたり出版しています。
Disappearing City (1932)、この本に基づいて模型が作られました。その後2回の改訂がされています。When Democracy Builds(1945)、The Living City (1958)、1959年に亡くなる前年まで加筆を続けておりライトにとって大変重要なテーマであったと思われます。ブロードエーカーシティーの理解なしにライトの建築の本質の真の理解はされないと言って過言ではないでしょう。

 ブロードエーカーシティーについて一般には、1戸あたり1エーカーの土地を割り当てる最も密度が低い都市計画だとか、ヘリコプターが飛び回る未来の都市と思われているだけで、この模型の内容はよく理解されていないと思います。
 この模型は、都市計画(道路や街区のアレンジや配置される建物のアイデア)というだけでなく、2番目の本の題名When Democracy Builds(民主主義が作るとき)が示すとおり、新しい民主主義の未来社会を形にしたものです。
 

 当時20世紀前半のウィスコンシン州では、「ウィスコンシン・アイディア(The Wisconsin Idea)」として知られるProgressive党の革新的な政治が行われていましたこの Progressive党の政策こそがライトがブロードエーカー・シティーに適用した民主主義でした。
Henry Georgeの土地単一税、SilvioGesellの減価する貨幣

 行き過ぎた市場主義経済が破綻をきたし、誰もが人類の将来に対する危機感を持っている今日、ブロードエーカーシティーが示す民主主義の社会は改めて大きな示唆を含んでいると思います。 

 2009年11月ライト没後50年を記念してブロードエーカーシティーとユソニアンハウスに関するシンポジウムとパネル展を行いました。ライト50年記念事業 ブロードエーカーシティーとユソニアンハウス同資料 ここにブロードエーカーシティに関する情報を収集しています。

2016年4月20日〜22日 沖縄市役所市民ギャラリーにてブロードエーカーシティーをテーマにして展示を行いました。  
NPO法人有機的建築アーカイブ沖縄地区主催 第3回ライト展「ブロードエーカーシティ」。

一昨年に引き続き2021年の伊豆高原五月祭でブロードエーカーシティーの展示解説を行います。
「F.L.Wrightのブロードエーカーシティーと資本主義の次に来るもの」
会期:4月29日(木)から5月31日(月)までの五月祭の会期中の土日祝日
他電話にて随時(磯矢090-4178-3313)

時間:10:00〜16:30会場:伊豆高原(静岡県伊東市八幡野1084-30) 五月祭のパンフレット参照

三鷹市でも展示を予定しています。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

タリアセンのヒルサイドスタジオ

 屋根のトラス 抽象の森

過去の人と思われていたライトは66才にしてFallingWater落水荘(1935)、
JohnsonWax社の管理棟(1936)を実現させ復活を果たします。

 


1937年には冬の根拠地 タリアセン・ウェストをアリゾナの砂漠に建設します。以来タリアセンフェロシップは夏はウィスコンシン冬はアリゾナに移動する生活を続けています。
タリアセンウェスト 1937 アリゾナ州スコッツデール 砂漠の抽象化

 

手頃な価格の住宅を建築するという課題に対して、ライトは革新的でコンパクトに魅力を湛えた究極の住宅郡、ユーソニアンハウスを次々に建てていきます。ユーソニアン住宅についてはユソニアン住宅とはの項目で説明します。

        個々のユソニアンハウスを見ることができるホームページのリスト              

                          Jacobs House ウィスコンシン州マディソン 1936 最初のユーソニアンハウス


                   Affleck House 
ミシガン州 1939

  Jacobs House(1937)最初のユソニアンハウス
Shwartz House(1939)

 

                  Pope House 1939

          

          

 ライトは91歳で亡くなるまで60人あまりの弟子と共に次々と作品を手がけ、第2の黄金期を築きました。 タリアセンフェロシップの運営にはオルギヴァンナ夫人の協力が大きく,ライトは安定して建築に打ち込むことができました。    

 ライトの生涯の最後の10年間タリアセンは繁忙を極め、ライトが生涯に設計した1100あまりのプロジェクトの1/3以上がこの時期に集中しています。この時期の作品は何か1つのアイデアをもとにした壮大な構想のものが多い。

    
   グッゲンハイム美術館 ニューヨーク 1956  らせん状に降りながら展示を見る 
 マリン郡庁舎 カリフォルニア州サンラファエロ 1957 
「ライトのなしたことは今はまだ建築に組み入れられていない。50年後にわれわれは今より強くライトを意識することになるだろう。」 とユーロ・サーリネン(アメリカの建築家(1910〜1961)がライトの晩年に述べています。

 20世紀の建築の巨匠としてル・コルビジェとライトがあげられます。 ルコルビジェの建築は原則論で教科書に適した教え易いものであったのに対し、ライトの建築は学校では教わることができない個人の能力に属するものであったため、ライトは後継者を作らなかったと批判されています。

 近年、アメリカではライトの研究をする人が大変増えて多くの本が出版され、ライトがしたことが何なのかようやく解ってきています。

 ライトの建築はいまだ未来に属するものと言えるでしょう。

                                       | 目次 |                             © 磯矢建築事務所